週末。残業帰りのプラットホーム。 駅舎には、まだ多くの人が残っている。 いつもの夜。いつもの電車。いつもの眠気。 列車の到着を待ちながら、うつらうつらと意識を漂わせる。 「梶君?」 名を呼ばれて振り返ると、スーツ姿の女性がいた。 誰だっけ? ひょっとして…? |
「梶君でしょ? 私よ私、憶えてない?」 屈託のない笑顔が、懐かしさを呼び起こす。 「あ、三島由宇!」 「ピンポーン!」 軽快な声と、細長い人差し指。お茶目な仕草が懐かしい。 それは、中学時代の同級生だった。 |
「すぐわかった?」 「ああ。変わってないなぁ、お前」 「それって成長してないって意味?」 言葉とは裏腹に、嫌みったらしさのない澄んだ声だ。 「成長してんのかぁ? そうは見えないけどなぁ」 「うーん、まあ、見えないとことかね」 「ふぅん…腹か?」 「健康イチバン。ちゃんとキープしてます」 「もう5年だっけ? 前の同窓会で会ったのが最後だよな」 「うん。そのくらいかな」 懐かしいな |
あどけなさの残る笑顔が、懐かしさを呼び起こす。 「ひょっとして、三島…か?」 「ピンポーン!」 軽快な声と、細長い人差し指。お茶目な仕草も懐かしい。 それは、中学時代の同級生だった。 |
「もう、酷いなぁ、忘れてるなんて」 「あはは、悪い悪い」 「まぁ、しょうがないよね、久しぶりだし」 「5年ぶりだっけか。前の同窓会以来だから…」 「うん。そのくらいかな」 懐かしいな |
三島由宇とは、中学三年間、同じクラスで過ごした。 最初の席替えで隣に座ってから親しくなった。 「三島は一人なのか?」 「そうだけど?」 「週末の夜に一人か……寂しいなぁ」 「それはお互い様でしょ。梶君は残業帰り?」 「まぁ、そんなとこ」 今どうしてるんだ? これから帰るとこか? |
「ただのOL。梶君は?」 「ただのサラリーマン」 「見たまんまね」 「お互いにな」 場内アナウンスが、列車の到着を告げた。 ホームに列車が入ってきた |
「そう。梶君は?」 「俺もこれから帰るところ」 「週末の夜に残業して、しかも家に直行なんて寂しいね」 「言うなよ。十分身に染みてるから」 「ふふふ、ごめんね」 くすくす笑うと、頬がぴょこんと上がる。 最初は変だと思った笑顔も、すっかり懐かしい。 ホームに列車が入ってきた |
列車に乗り込み、二人並んで吊革に掴まった。 「最近、会社とかどう?」 「んー、あまり景気良くないなぁ。ボーナスも少ないし」 「今の時分、出るだけマシかもね」 「そうだな。でも出てくれないと困る。カードで買い物した分が……」 「あー、それは困るねぇ。梶君無駄遣いするもんね」 「三島は財布の紐が固いよな。文化祭の実行委員の時もそうだったし」 「あはは、あの時はごめんね。予算は限られてるんだもん。 梶君のとこは割を食っちゃったよね」 「みんなで鬼の会計役とか噂してたんだよな」 「知ってる。あの時は随分嫌われたなぁ……」 みんな本気で嫌ってた訳じゃないよ 三島も負けてなかっただろ |
「……分かってる。みんなだって一生懸命だったのよね。 でもやっぱり、中学生にあの責めはきついよ」 「三島に詰め寄ってた奴ら、みんな目つき違ってたもんなぁ」 「梶君もね」 「……わるい」 「いいのよ。分かるもの。誰だって少しでも多く予算が欲しいもの。 それを上手に配分するのが私の仕事だったんだし」 「俺もまさか、三島が泣くとは思わなかったもんなぁ……」 「泣くつもりはなかったんだけどね。でも、みんなに囲まれて、 どうしていいか分からなくなっちゃったのよね」 「……」 「あの時は梶君にも迷惑かけたよね。梶君のおかげで助かった」 「そ、そうか……?」 「うん。懐かしいな、もう10年も前の話なのか……」 「そうだな……」 列車が駅に止まった。 |
「まぁね、なんだかんだで、みんな妥協してくれたしね。 梶君が真っ先に譲歩してくれて助かった」 「んー、まぁ、あんまりお金のことでゴチャゴチャ言うのは 嫌だったんだよな。ある分でなんとかしろって感じで。 それに三島の粘りにも負けたからなぁ」 「ふふふ。伊達に鬼の三島と呼ばれた訳じゃないからね」 「三島って、意外と頑固なんだよな」 「そうかもしれないね。自分では弱いと思ってたんだけど」 「どこがだよ。全然弱くねぇよ、三島は」 「……」 「……どうかしたのか?」 「ううん。もう10年も前の話なんだなって思って。懐かしいよね」 「そうだな……」 列車が駅に止まった。 |
列車が駅に着いて、乗客が乗り込んできた。 ふと、二人の距離が縮まった。肩が触れた。 あの頃、隣り合わせだった肩は、少し段差が出来ている。 「なんだか時の流れを感じちゃうなぁ」 「な、なんだよ、急にしみじみして」 「梶君を見上げるのって、なんだか変な感じがする」 「俺、そんなに背は高くないぞ。っていうか、低い方だし」 「そうだね。うん。やっぱり目線が近くて話しやすいよ」 肩が触れ合ったままで、列車は出発した。 ほのかに香水の匂いがした。 「他の連中とは会ってるのか?」 |
「チーちゃんとかマキとはまだ会ってるよ」 「あぁ、仲良かったよな。あいつら、今は何やってるんだ?」 「チーちゃんは実家の手伝い。マキは大学院にいる。 あ、そうだ、ゴリ君のとこは子供生まれたんだって」 「……あいつ、結婚してたっけ?」 「え、知らなかったの?」 「あの野郎、俺には内緒かよ……」 「連絡取れなかったんじゃないの? 梶君、引っ越したでしょ」 「あ、そうか……」 「あれ、引っ越したって、良く知ってるな」 「このあいだの同窓会、出ときゃよかったなぁ」 |
「梶君が前に来たのって5年前だよね」 「そう。あれ以来、ほとんど会ってないんだよな」 「多田君憶えてる? いつも幹事を引き受けてくれてたんだけど」 「あぁ、委員長な」 「そう。その多田君が忙しくなっちゃったみたいで、 交流が薄くなっちゃったのよね」 「ふーん」 「やっぱり、誰かが率先して音頭を取らないと、 同窓会とかってできないじゃない」 「んー、まぁ、そうだよなぁ」 「なんなら、梶君がやる?」 「え……」 「いや……やりたくても仕事が忙しいんだよなぁ」 「じゃあ、前みたいに二人でやるか?」 |
「3年の体育祭の時みたいに?」 「そうそう」 「懐かしいな。私達、息が合ってたよね」 「うん。みんなを盛り上げてさ」 「あの時が一番楽しい思い出かな」 「先生を説得するのが大変だったよなぁ」 「そうだね。梶君、すぐムキになっちゃうし」 「あれは、三島がどうせ仲裁してくれると思ってたから、 俺は言うだけ言えばいいやって思ってたんだよ」 「へぇ、そこまで考えてたんだ」 「いや、当時は全然考えてなかった」 「ふふふ。やっぱり梶君だねぇ」 「同窓会、またやりたいよな」 「そのせいで、噂されたりしたこともあったよな」 |
「そうだね。ちょっと居心地悪かったよね」 「まー、俺は平気だったけど、三島には悪いことしたなぁって 思ってたんだよな。三島に好きな奴とかいるんだったら、 すごく迷惑だったろうなって」 「私も全然平気だったよ」 「そうなのか?」 「うん」 「そっか、三島、見た目より強いもんなぁ」 「それに、どうせああいう噂はすぐに鎮火しちゃうでしょ?」 「そうだな、1ヶ月ももたなかったか」 「なんだか、他の連中とも会いたいよなぁ」 「今は彼氏とかいないのか?」 |
「んーどうかな。梶君は?」 「っていうか、見ての通り。せっかくの週末だっつーのに、 残業した挙げ句に家に直行だし」 「ふふふ。そうだったね。ごめんね」 「なんで笑ってんだよ」 「ごめんごめん。なんだか梶君らしいなって思って。 梶君、昔からそういう所に無頓着だったでしょ」 「そ、そうか?」 「梶君は気づかなかったみたいだけど、クラスに梶君のことを 好きな子がいたのよ」 「え、本当か? 聞いたことないぞ?」 「本当。私達だけの秘密だったからね」 「どこの誰だよ?」 「そ、そんなことバラしちゃっていいのか?」 |
「私も一度、梶君に手紙を出したことがあるんだけど、 転居先不明で戻って来ちゃったの」 「悪い。郵便局に届けてなかったかも。 で、その手紙の内容ってどんなのだったんだ?」 「んー、特に用があった訳じゃないから、もう忘れちゃったなぁ。 久しぶりだから、ちょっと出してみたくなったのよ」 「なんだ……」 「ふふふ。ひょっとして、何か期待した?」 「ちょっとだけな」 「なに言ってるんだよ」 |
「ふふふ。なんだか梶君らしいなぁ」 「え、ど、どういう意味だよ」 「別に意味なんかないよ、そう思っただけ」 「いや、その笑い方は何か含みがあるだろう」 「ふふふ。どうかな。そうだね……梶君って、割と淡泊だよね」 「淡泊って?」 「女の子に対して」 「そ、そうか?」 「少なくとも、女の子の気持ちに自分から気づいて、 自分から動くってことは出来ないでしょ?」 「……」 「三島こそどうなんだ? 彼氏とかいないのか?」 「まぁ、今は忙しいし、それどころじゃないんだよな」 |
「ふふふ。でも、梶君じゃあ、期待しても無駄かもよ」 「え、なんでだよ」 「だって梶君、女の子のこと、ちゃんと見てなかったでしょ」 「え……ど、どういう意味?」 「梶君は気づいてないみたいだったけど、梶君のことを 好きな子がいたのよ」 「え、うそっ、本当か? 聞いたことないぞ?」 「本当。私達だけの秘密だったからね」 「俺の知ってる奴か?」 「クラスの子」 「そんなこと言ちゃっていいのか?」 「どこの誰だよ?」 |
「もう時効でしょ?」 「なに言ってるんだ。まだ可能性があるだろ。 同窓会でかつての恋再びとか、良くある話だろ?」 「梶君じゃ無理」 「な、なんでだよ!?」 「同窓会、来ないでしょ。今までも一度しか来てないよね」 「……」 「今度は行くよ。だから同窓会やろうぜ」 「仕事が忙しくて日程が合わないんだよ」 |
「残念でした。その子もう結婚してるわよ。 新婚で幸せ一杯だから、付け入る隙無しって感じ」 「ちぇ、なんだよぉ…」 列車がスピードを緩め、駅が近づいた。 |
ブレーキがかかる。触れ合っていた肩が押しつけられた。 あの頃の鼓動を思い出す。 ひょっとしたら好きだったのかもしれない。 化粧とスーツ。微かに香水の匂い。 あどけなくて可愛かった人は、いつの間にか綺麗な女性になっていた。 次はいつ会えるだろう…… |
「そっか、仕事大変?」 「うーん、そうだな、正直言うと、結構辛いかも」 「頑張ってるんだ」 「頑張ってるっていうか、会社が危ないみたいなんだよな。 だから頑張らざるを得ないって言うか」 「こう不況が続くと、どこも大変だよね」 「そうだな。うちの会社もいつ潰れるか……」 「それで実家にもあまり帰ってないのね」 「そうだな。休みの日も寝てばっかりだからなぁ」 「三島の会社はどうなんだ?」 「あっちはどうなってるんだろうなぁ」 |
「先月、帰ってきたよ」 「連休あったのか?」 「うん。有給何日かもらってね」 「いいなぁ、うちはなかなか休みも貰えないんだよな」 「仕事、大変そうだね。今日も残業だったんでしょ?」 「んー、そうだな。もう慣れてきたかなぁ。確かに大変だけど」 「あんまりストレス溜めないようにね」 「ん……」 「三島の方はどうなんだ?」 「珍しいな、三島が心配してくれるなんて」 |
「そう?」 「三島も優しくなったんだな」 「え、私って、そんなにきつかったかな」 「あ、いや、そういう意味じゃなくて……悪い」 「ふふふ。いいよ。なんとなく分かる」 「三島は、大人の余裕が出てきた感じがするよな。 きっと幸せに過ごしてるんだろうなぁって思って」 「うん。そうだね。今はすごく幸せかも」 「仕事は大変じゃないか?」 「大変だけど、充実してる」 「そっか、三島も頑張ってるんだな」 列車がスピードを緩め、駅が近づいた。 |
「調子いいよ。新しい事業が割と成功してるから」 「へぇ」 「私もね、その事業に関わってたの。一応、開発部」 「え、それってすごいんじゃないのか?」 「んー、どうだろうね。確かに周りはすごい人ばかりだったかな」 「そうかぁ、その仕事って、楽しいのか?」 「……そうだね。やりがいもあるし。仲間もいい人ばかりだし。 すごくいいところだった」 「そっか、なんかいいよなぁ。幸せそうだよなぁ」 「うん、そうだね……幸せかな。うん。幸せだと思うよ」 「……どうかしたのか?」 |
「え、何が?」 「いや、なんか、三島らしくない気が……」 「そう?」 「なんかこう、喋り方にも深みがあるっていうか。 以前はもっとサッパリしてた気がするんだよな」 「私達も大人になったってことじゃないかな。 あれから何年も経ってるし、変わってても仕方ないと思うよ」 「そうか……そうかもしれないよな」 「勿論、変わってないところもあるよ。それでいいんだと思う」 「……他の連中はどうしてるんだろうなぁ」 「そうだね。みんなどうしてるのかな」 「まぁ、今日は三島に会えたからいいか」 「また同窓会に行きたいよなぁ」 |
「……」 「三島?」 「……梶君、ロサンゼルスって行ったことある?」 「アメリカの? いや、行ったことないけど……」 「そっか……私ね、来週ロサンゼルスに行くんだ」 「へぇ、いいなぁ、海外旅行か?」 「ううん。結婚してアメリカに行くの。ずっと向こうで暮らすつもり。 今週で……今日で会社も辞めたの」 「え……?」 「彼についていくの。いつ帰ってくるか分からない。 何年先か…ずっと帰らないかもしれない」 「……」 |
「びっくりした?」 「え……あ、うん、そうだな……おめでとう」 「うん。ありがとう」 「そっか。結婚するのか。アメリカかぁ……なんだかすごいな」 「本当は迷ってたの。仕事も楽しかったし、日本も好きだし。 でも、ついていきたいなって思った」 「そっか……」 「出発する前に梶君に会えて良かった。 住所決まったら連絡する。ロサンゼルスに来たときは寄ってね」 「分かった。向こうに行っても元気でな」 「うん。梶君も元気で。それじゃあ……」 「……じゃあな。また会えたらいいな」 「うん」 終了[エンド1] |
「ごめんね、私、ここで下りるから」 「そうだ、連絡先。これ」 慌てて名刺を差し出す。遠慮がちに、彼女も名刺を出した。 「え……小谷?」 「先月、結婚したの」 「……」 「びっくりした?」 「そ、そっか、そうだったのか……おめでとう」 「ありがとう」 「そっか、ってことは、今は一番幸せな時なんだな」 「うん。幸せ」 「そっか、そうか……」 「それじゃあ。梶君も元気でね」 明るい声と共に、彼女は去っていった。 しばし、懐かしい笑顔が辺りに残っているみたいだった。 終了[エンド2] |
「そうだね。みんなに言ってみるよ。私が幹事やってもいいし」 「え、ほんとか?」 「日程合わせてあげるから、梶君も来てよね」 「わかった。なんとか都合つけるよ」 「ふふふ、なんだか楽しみだね」 「そうだな」 懐かしい笑顔との再会は、懐かしい思い出との再会だった。 そして、懐かしい関係との再会でもあった。 無くしたと思っていた空気が、ふとした偶然でまた流れ出した。 終了[エンド3] |
「じゃあ、今度やろうか。女子の方には私から連絡取るし」 「んー、そうだな、じゃ、男は俺がなんとかするよ」 「ふふふ。二人で幹事なんて久しぶりだね」 「そうだな」 「なんだか楽しみだね」 懐かしい笑顔との再会は、懐かしい思い出との再会だった。 そして、懐かしい関係との再会でもあった。 無くしたと思っていた空気が、ふとした偶然でまた流れ出した。 終了[エンド4] |