「次はテメェの番だ」 銃口を突きつけて”兄貴”は激しい怒気を放った。 足元には、頭を半分吹き飛ばされた仲間が倒れていた。 銃声が耳鳴りになって、視界がぐらぐら揺れている。 生々しく煙を上げる銃口を見つめ、僕は息を飲んだ。 「ったく、テメェらはヘマばかりしやがって。いい加減呆れ返るぜ」 引き金にかけた指に力が入る。 あの指がほんの少し引かれれば、鉛の弾丸が火を纏って飛び出してくる。 それで僕もオダブツだ。 仲間と同じように、脳味噌を撒き散らして死ぬことになる。 なんとか言い訳しなくちゃ 謝まって許してもらおう |
「僕のせいじゃない! あんな所に車を止めてる奴が悪いんだよ!」 必死になって言い訳した。口から出任せだ。 とにかく自分は悪くない。運が悪かっただけなんだって言った。 「ボスは…ヘマを許さねぇ」 「本当だよ。僕のせいじゃない。今度こそうまくやるからさ。僕を信じてよ」 無言で睨み続ける目を、僕は必死に見つめ返した。 吊り上がった兄貴の目は怖くて仕方ない。 けれど、目を逸らしたら嘘がバレて殺されると思った。 「今度だけだ。次やったら…本当に殺す」 ドスの効いた声に、僕は背中に大汗をかきながら、何度もうなずいた。 「うん。大丈夫だよ。任せてよ。次は絶対失敗しないよ」 明るい言葉で取り繕うと、兄貴は舌打ちして銃を引いた。 助かった… |
「ごめんよ。でも…」 「謝ったって、ボスは許してくれねぇだろうな」 兄貴の凄みが増した。僕は目を逸らして身体を小さくする。 突きつけられた銃口が大きく見える。体中から冷たい汗が噴き出す。 「ごめんよ。許してくれよ。お願いだよ。今度こそうまくやるからさ」 震える声で懇願する。とことん謝れば許してくれるかもしれない。 「…今度だけだ。次やったら、本当に殺す」 ドスを効かせて言い、兄貴は銃を収めた。 助かった… |
「そいつを片づけとけ」 去り際に、兄貴は路面に倒れた死体を顎で指した。 さっきまでポールって呼んでいた仲間は、今はピクリとも動かない。 飛び散った肉と砂埃で、真っ赤な血はどす黒く濁っている。 頭が半分無くなって、歪な形になっていた。 ポールは小太りでぶきっちょだった。よくヘマをして兄貴を怒らせた。 兄貴はポールを嫌っていた。僕はまだ兄貴に気に入られている方だ。 逆の立場なら、僕が先に殺されていた。 僕が生きているのは、たぶん、それだけの違いだ。 「今夜の仕事ではヘマするんじゃねぇぞ。忘れるな」 そう念を押すと、兄貴は舌打ちして去っていった。 僕は生き残った |
兄貴に逆らうのは自殺行為だ。 特にあの兄貴は気性が荒いことで有名で、もう何人も殺してる。 仲間だって平気で殺してしまう。僕だって何度も殺されそうになった。 いつも死体を処理するときのように、ポールの体を下水に放り込んだ。 こうして仲間の体を捨てるのは何度目だろう…。 明日には、僕がこうして捨てられるのかもしれない。 それが嫌なら、彼らに従うか、この町を出ていくかだ。 それがこの町のルールなんだ |
ゴミ溜めみたいな裏道に子供が集まっていた。数人で少女を取り囲んでいる。 ミーナという女の子だ。 「臭っせぇなぁ、お前がいると街が汚くなってしょうがねぇよ」 「どっか消えちまえよブタ」 肩を小突き、髪を引っ張り、下劣な言葉を浴びせ、終いには石をぶつけ始める。 下水に突き落とさないだけ今日はマシだろう。 強者が弱者に八つ当たるのはどこでも同じだ。 兄貴が不機嫌になると僕を殴るように、彼らもより弱い者へと捌け口を求める。 それは動物だったり、物だったり、人間だったり。 弱々しく薄汚れた姿のミーナは、格好の餌食だ。 「どうしたよ、なにか言ってみろよ」 蔑みに満ちた容赦ない笑い声が起きる。 けれどミーナは笑う。罵られても殴られても、いつも必ず笑い顔を返す。 そもそもミーナは喋れないのだ。だから差別され、虐められる。 今もまた、蔑みの中で笑っている。 ムカツク奴らだな こんな奴らに構ってられない |
「こいつ笑ってやがるぜ。頭おかしいんじゃねーのかぁ?」 大口を開けた笑いが耳障りで仕方がない。ひたすら鬱陶しい。 気がつくと罵声が飛び出している。 「うるせぇよバカ。弱い者虐めて楽しんでんじゃねーよ」 「んだとぉっ!?」 彼らが一斉に振り返った。 「やるかこらぁ!」 彼らの顔つきが変わった。すっかり喧嘩腰だ。 相手は三人。ニタニタと下卑た笑みを浮かべながら僕を取り囲む。 睨みつける 殴りかかる |
「いい気になってんじゃねーぞコラァ!」 怒声を張り上げて、彼らは近づいてきた。 相手をするのも鬱陶しい。僕は彼らをただ睨みつける。 「偽善者面してんじゃねーぞ。何様のつもりだ」 「うるせぇって言ってんだよ。胸クソ悪ぃ」 奴らの言動を見てると吐き気がする。こっちも喧嘩腰になってしまう。 「ハハーン、さてはお前ら、デキてんのか?」 「黙れクソ野郎」 「おい行こうぜ。愛し合う二人を邪魔しちゃ悪りーからよ。ハハハハッ」 胸の悪くなる笑い声が路地の向こうに消えていった。 彼らを見ていると気分が悪くなる。 ミーナも同じだ。いつも笑ってばかりいる。 舌打ちをして歩き出すと、小さな足音がついてきた。 ミーナだ… |
やってる事は兄貴達と一緒だ。見ているだけで胸が悪くなる。 けれどそんな理屈は通用しない。弱肉強食が彼らの信じるルールだからだ。 無視して通り過ぎようとすると、ミーナの視線に気づいた。 僕の方をじっと見ている。助けてくれとでも言いたいのか。 じろじろ見てんじゃねーよ 冗談じゃない。関わってられるか |
「じろじろ見てんじゃねーよ」 僕の言葉じゃない。ミーナを取り囲んでる奴らが言った。 「見せ物じゃねぇんだよ、さっさと行けよ」 「それとも、こいつを助けようってのか?」 「粋がってんじゃねぇよ。偽善者野郎がよぉ」 一斉に笑い出す。胸が悪くなる笑い声だ。こっちの我慢も限界だ。 溜まっていた鬱憤が悪態になって飛び出す。 「うっせぇよバカ。弱い者虐めて楽しんでんじゃねーよ」 「んだと……やるかこの野郎!」 からかい半分だった彼らの顔つきが変わった。すっかり喧嘩腰だ。 ニタニタと下卑た笑みを浮かべながら僕を取り囲む。 睨みつける 殴りかかる |
5分後。僕は崩れた石塀の下に置き去りにされた。 「粋がってんじゃねぇよ、偽善者がよ。胸クソ悪くならぁ」 お定まりの台詞と一緒に唾を吐き捨て、彼らは去っていった。 口の中が苦い。血と砂の味がする。 吐き戻した胃液の饐えた匂いで鼻の奥が痛い。 どうせ勝てるなんて思って無かった。ムシャクシャしてただけだ。 喧嘩には慣れてる。負けるのにも慣れてる。別に大したことじゃない。 立ち上がろうとすると体中が軋んだ。やっとの思いで起き上がる。 歩き出すと、背後から小さな足音がついてきた。 ミーナだ… |
「ついてくるな」 かしゃかしゃと、素足で砂を踏む足音が追ってくる。 振り返らなくても分かる。ミーナだ。 「ついてくるなっつってんだろ!」 怒鳴りつけると、ピタリと足音は止まる。 けれど、しばらくすると、また小さな音が近づいてくる。 なんでついて来るんだ。別にお前を助けた訳じゃない。 ミーナの足音が、どす黒い気持ちを揺さぶる。 きっとミーナは笑ってる。笑いながら僕のあとをついてきてる。 追い払う 走り出す |
振り返ると、やっぱりミーナは笑っていた。 「なんでヘラヘラ笑ってるんだよ! 悔しくないのかよ!」 刺々しい言葉は、半分八つ当たりだ。 ミーナは黙って首を振る。相変わらず笑顔を浮かべている。 「たまには反抗するとか、嫌そうな顔するとかできないのか?」 ミーナは答えない。ただ笑顔を返す。 声を出せないミーナが答えられる訳がない。 それを分かってて怒鳴る僕は、ミーナを虐める連中と変わらない。 本当はミーナなんて嫌いだ。心の中では蔑んでいる。 絡む奴らにも腹は立ったけど、ミーナにも腹が立った。 どうして笑ってるんだ。本当に馬鹿じゃないのか。 それとも僕を馬鹿にしてるのか。 苛立ちを抑えられず、僕は走り出した |
僕は走り出した。ミーナを置き去りにする。 ミーナの薄笑いが頭の中から離れない。 喧嘩に負けた僕を笑ってるんじゃないか。 ゴミみたいな存在でしかない僕を笑ってるんじゃないか。 あの笑い顔を想像しただけで、訳もなく苛立ってしまう。 僕は後ろを振り返らず、兄貴と約束した場所へ向かった。 苛立ちは抑えられないままだった |
その夜、僕はとんでもないミスをした。 川沿いの倉庫で取引があった。大事な取引だった。 僕は見張りを任された。街沿いの路地を監視する役目だ。 一人で立っていたとき、ミーナのことが頭を過ぎった。 気分はサイアクだ。ムカムカして仕方なかった。 僕はその苛立ちに気を奪われてしまった。 乱雑な足音でハッとしたけど遅かった。 既に黒い影が路地を駆けていった。警察だ! サイレンと銃声が辺りに響き渡った |
「テメェ…次は容赦しねぇと言ったはずだ」 警察が去ったあと、兄貴は銃を突きつけた。目が血走っている。本気だ。 それはそうだ。今回のヘマは半端じゃない。 取引はパァ。銃撃戦で死んだ仲間もいる。ボスは絶対許さない。 僕は唾を飲んだ。 「覚悟はいいな」 今度こそ殺される。頭を吹き飛ばされて無惨に放置されるんだ。 その時、物陰から様子を伺うミーナの姿が目に入った。 ミーナのせいで… もう終わりだ… |
もうダメだ。そう思って目を瞑った。 銃声が響く。頭と耳の奥がキーンと痺れて、意識が遠のいていく。 ああ撃たれたんだ。これで死ぬのか。なんてあっけない人生だ…。 「なにしやがる!」 怒声で、夢のような意識から覚めた。 兄貴の腕に小汚いものが掴みかかっていた。ミーナだ。 僕を助けるために、ミーナが戦っている。 見たこともない必死の形相で兄貴の腕に噛みつく。 「うぐぁぁぁっ!!」 悲鳴とも罵声ともつかぬ声。 兄貴はミーナを剥ぎ取り、銃口を突きつけた。 「テメェ…ぶっ殺してやる」 ダメだっ! |
引き金が引かれる。そう思った瞬間、僕は兄貴の腕を蹴り上げていた。 銃声と共に銃が踊った。地面に落ちてカラカラと転がる。 三人の間に、一瞬の静けさが訪れた。 「逃げろっ!!」 僕は思わず叫んでいた。ミーナが戸惑いつつ走り出す。 呆然としていた兄貴は、我に返って銃に手を伸ばした。 僕はミーナと一緒に走り出した 兄貴の腕に飛び掛かった |
バァンッ! 走り出した僕の背中で銃が鳴った。 ミーナの動きが止まった。放り出されるように、うつ伏せに倒れる。 僕は驚きと憎しみを込めて、兄貴を振り返った。 兄貴は得意そうに笑っていた。銃を突き出して、可笑しそうに。 「馬鹿な奴だ……」 ゆっくりと、銃が僕を向いた。 硝煙の匂いが鼻を突く。胸の悪くなる、嗅ぎ慣れた匂い。 「残念だったな。少しは夢を見れたか?」 侮蔑の笑みを浮かべながら、兄貴は引き金を引いた。 銃声が耳の奥でこだました。 終了[エンド5] |
僕は兄貴の腕に飛び掛かった。 直後に放たれた銃弾が、狙いを外して廃ビルの壁で跳ね返る。 「テメェ、なにしやがるっ!」 拳が飛んできた。殴り倒され、固い地面で頭を強かに打った。 兄貴は銃を持ち直し、もう一度ミーナに狙いを定めた。 ミーナ逃げろっ!! 止めろっ!! |
「ぼ、僕じゃない! ミーナのせいだよ!」 ミーナを指差し、罪を擦りつけた。ただ助かりたい一心で。 どうせミーナは喋れない。せいぜい首を振って否定するぐらいだ。 兄貴はミーナを睨んだ。次に僕を。そしてまたミーナを。 「テメェか?」 威圧感と共にミーナを見下ろす。そして、銃口を突きつけた。 僕はようやく自分の愚かさに気づいた。 どうしよう。ミーナを殺す気だ。そんなつもりじゃなかったのに。 ただ自分の罪を逃れたかっただけなのに。 しかも、こんな時だっていうのに、ミーナは笑ってる。 僕の頭は焦りで混乱していた。 ミーナが首を振れば… 違う! 違うんだ! |
ミーナが首を振ればそれで済む。そうすれば言い訳でもなんでもできる。 間違いだって。他の奴のせいだって言える。 兄貴に許して貰える言い訳ぐらい、いくらでも思いつく。 「テメェがやったんだな。さては…オレ達を売ったな?」 兄貴の眉が吊り上がった。今にも引き金を引きそうだ。 けれどミーナは首を振らない。 たった一度首を振ればいいのに、その気配さえ見せない。 ただ、笑っていた。 …… ち、違う! ミーナじゃないんだ! |
笑いながら、ミーナは涙をこぼした。 銃口を突きつけられ、ガタガタ膝を震わせ、泣きながら笑い続ける。 今にも頭を吹き飛ばされるってときに、死ぬ程怖いだろうのに。 ミーナは擦りつけられた罪を否定しようとしなかった。 「なにを笑ってやがる。テメェのそのツラは吐き気がするぜ」 兄貴は顎をしゃくって見下ろしながら、引き金に力を入れた。 …… ダメだっ! |
「他の奴がミーナに絡んで騒いでたんだ。それでだよ!」 慌てて弁解した。口からでまかせだ。 兄貴は横目で僕を睨んだ。僕は必死に兄貴を見つめ返した。 「そいつは?」 「知らない。見たこと無い奴だったし、騒ぎが起きて逃げてった」 ゴクリと唾を飲み込む。嘘がバレれば殺される。 しばらくして兄貴は銃を下げた。その代わり拳が飛んできた。 「そいつを見つけ出せ。いいな」 そう言いつけると、兄貴は去っていった。 僕はミーナと二人で取り残された。 罪悪感で胸が締めつけられた |
「ごめんよ、お前は悪くないのに。でも、ああでも言わないと…」 嘘をついて他人に罪を擦りつける。最低だ。自分でもそう思う。 けど、そうでもしないと、この町では生きていけない。 ミーナは笑っていた。謝る僕に大げさに首を振った。 「許してくれる?」 ミーナはうなずく。小さな顎を何度も上下させる。 それから、いつものように、にこっと笑った。 僕はその笑顔に救われた気がした。不細工だったけど、可愛いと思った。 ミーナもいい子じゃないか。良かった。おかげで助かった。 いい気分でミーナと別れた。別れるときもミーナは笑っていた。 ビルの角を曲がって、僕は立ち止まった。 ミーナはこれからどうするんだろう。どこで寝てるんだろう。 普段では気にもしないことだ。 ま、いいか ミーナのとこに戻ろう |
「おい、さっきのガキはどこだ?」 兄貴が引き返してきた。ミーナのことを探しているらしい。 「まだその辺にいるんじゃないかな」 「探せ」 嫌にドスの効いた声だった。兄貴は真剣だ。遊びじゃない。 体の芯から、恐怖や不安が沸き上がってくる。 ミーナを探してどうする気なんだろう。まさか…。 嫌な予感を抑えながら、さっきの場所に戻った。 ミーナはまだそこにいた |
ミーナは泣いていた。別れた場所でうずくまっていた。 出せない声を涸らして、激しく泣いていた。 顔なんてグチャグチャで、拭うそばから涙が溢れている。 声はただ掠れて、出てくるのは嗚咽ばかりだった。 僕は立ち尽くし、ようやく自分のした仕打ちを理解した。 彼女を傷つけた。自分が助かるために。 彼女が喋れないと分かってて、罪を押しつけようとした。 残酷な程、僕は無神経だった。 初めて聞いた彼女の声は、声にならぬ、哀しみの叫びだった。 「ここに居やがったか。へっ、泣いてやがる」 兄貴が現れた。口の端で嘲笑う。ミーナを探していたのか…。 僕は… いたたまれずに、その場から走り去った 呆然とただ立ち尽くした |
パァン… 背後で銃声が鳴った。高い音がビルの谷間で反響する。 耳の奥を銃声が駆け巡って、僕の頭を揺さぶった。 ミーナが撃たれた音だ。兄貴がミーナを撃ったんだ。 兄貴はミーナを殺す気だったんだ。 ポールと同じように、ミーナも兄貴に殺されたんだ。 振り返れば、きっと、頭を吹き飛ばされたミーナが倒れている。 人を撃ち殺した兄貴が、得意げに笑ってるんだ。 僕は目を瞑って走った 意を決して振り返った |
振り返ると、兄貴もミーナもそこに立っていた。 「テメェの顔はムカツクんだよ。くそったれが!」 吐き捨てる兄貴の前で、ミーナは身を縮こまらせていた。 弾痕を爪先すれすれに穿たれ、恐怖のあまり失禁している。 それでもミーナは笑っていた。全身を引きつらせながら笑っていた。 「走れ。逃げ切れたら許してやる。……走りやがれっ!!」 罵声に驚いたミーナは、路地を走り出した。 懸命に走る小さな背中に兄貴が狙いを定める。 やめろっ!! 逃げろぉ!! |
バァンッ! 僕の声を遮って銃声が鳴った。 ミーナは一瞬動きを止めた。まるで宙に放り出されるように。 あまりにも呆気なく、ミーナは倒れた。 「アウトだったな」 ピクリとも動かないミーナを見つめ、兄貴は得意げに呟く。 人を殺すことをなんとも思ってない。寧ろ楽しんでいる。 「テメェも覚悟しとけ。死にたくなきゃヘマはしないことだ」 襟を整えると、兄貴は立ち去った。 ミーナの傍へ |
兄貴の背中に体ごとぶつかった。 二人もんどりうって廃材の上に倒れ込む。銃がゴトリと地面に落ちた。 「なにしやがるこのクソ野郎! ぶっ殺してやる!」 兄貴の罵声が耳を震わせた。畏怖で体が萎縮する。 目の前に銃が落ちていた。咄嗟に手を伸ばす。 兄貴が目を血走らせ、覆い被さってきた。 もうダメだ。僕は思わず目を瞑った。 バァン、と銃声が耳を劈いた。驚きで体が凍りつく。 兄貴も動きを止めた。苦しそうに呻き声をあげる。 ゆっくりと、兄貴は仰向けに倒れていった。 胸の真ん中にじわじわと赤い染みが広がっていく。 目をカッと見開いたまま、兄貴は動かなかった。 掌で黒い銃口が煙を上げていた |
僕はなにもできなかった。ただ見ているしかできなかった。 兄貴は唾を吐き捨てると、銃を取り出した。ガシャンと弾を装填する。 まさかミーナを撃つ気じゃあ…。 自責と恐慌とで、僕は全身を震えさせた。 僕のせいでミーナは殺される。 ポールや仲間達みたいに、頭を吹き飛ばされて死んでしまう…。 兄貴が引き金を… |
兄貴は引き金を引かなかった。 その代わり、銃をクルリと回して僕に差し出した。 「あいつを殺れ。それで許してやる」 冷徹に兄貴は言い放った。 さぁ受け取れと言わんばかりに顎をしゃくる。 生きたければ強い者に従え。それがこの町のルールだ…。 そう、受け取るしかないんだ… もう嫌だ。絶対に受け取らない |
僕は銃を受け取らなかった。これ以上は嫌だ。もう御免だ。 殺されたっていい。いっそ死ねば楽になれる。 こんな世界からはオサラバできる。 兄貴は「そうか」とだけ呟くと、僕を思いっきり殴った。 腹に蹴りを一発。顔に一発。 それから唾を吐きかけて、この町を出ていけ、と言った。 僕は行く当てもなく走り出した |
受け取った銃をミーナに向けた。 ようやく気づいたミーナは、きょとんとして泣き止んだ。 それから、全てを理解したように笑った。 逃げる素振りなど見せない。抵抗しようともしない。 どうぞ撃って下さいとばかりに、笑っていた。 引き金を引く 銃口を逸らす |
「テメェ…なんのつもりだ?」 逸らした銃口の先に兄貴がいた。訝しげに眉を寄せる。 偶然じゃない。僕は兄貴に銃を向けた。 「面白ぇ。そうかいそうかい。そういうつもりかい」 兄貴は大声で笑い、心底可笑しそうに腹を抱えた。 「そんな手で人が撃てるもんかよ。くくくっ」 僕の手は震えていた。人なんか撃ったことがない。それは兄貴も知ってる。 「やってみろよ…テメェにそんな度胸があるならな!」 今度は怒声だ。僕は歯を食いしばって、嘲笑する兄貴に銃を向け続けた。 「どうした撃ってみろよ! ほらここだ! しっかり心臓を狙いな!」 僕は引き金を… |
「やってみろ! ぶっ殺してやる!」 怒声を掻き消して銃声が鳴った。キーンと耳の奥が痺れる音だった。 引き金の感触は無かった。激しい振動と爆発音に、僕は目を堅く閉じていた。 これで終わりだと思った。 兄貴に向かって引き金を引いてしまった。怒り狂った兄貴に殺されるんだ。 どうせなら頭を撃ち抜かれるのがいい。苦しまずに済む。 無様な死に方だけど、殴り殺される痛さに比べればマシだ。 でも、なにも起こらなかった。 恐る恐る目を開けると、兄貴は仰向けに倒れていた。 顔の真ん中に赤黒い穴を穿たれ、ネットリした血溜まりで動かなかった。 僕は兄貴を撃ち殺した |
僕は銃を落として恐怖に震えた。全身が戦慄いた。 掌が痺れていた。痺れが全身に広がって動けなかった。 兄貴は動かない。真っ赤な血が、粘液のように広がっていく。 人を殺した、逃げなくちゃ…でも足が動かない。動けない。 誰かに手を引かれた。ミーナだった。 ミーナは僕の両手をしっかりと握ると、細い腕でぐいと引っ張った。 僕の足はようやくその場所から離れることができた。 ミーナに手を引かれて走り出した |
そのまま僕は町を逃げ出した。 行く当てもなく道を歩いた。 ただ、この町から逃げ出したかった。 ミーナはどうなっただろう…。少しだけそんなことを思った。 終了[エンド3] |
パン! 初めて手元で聞くその音は、呆気ないほど軽かった。 掌を叩いたような、ありふれた音に聞こえた。 耳の奥は痺れたけど、別にどうってことなかった。 目を開けると、ミーナがゴミ溜めの上に倒れていた。 眉の横に小さな穴が開いているだけで、他にはなにも変わらない。 あの笑顔さえ、そのままだった。 終了[エンド4] |
ミーナの体はピクリとも動かない。 埃まみれの背中の真ん中から、真っ赤な染みが広がっていく。 恐る恐るミーナの顔を覗き込んだ。 瞼が少しだけ動いて、僅かに開いた瞳が僕を見た。 生きてたって思ったら、急にほっとした。 「ミーナ、良かった…大丈夫?」 僕の声に答えるように、ミーナはゆっくりと頬を緩ませる。 それはとても安らかな微笑みで、僕も思わず笑い返した。 ミーナは唇を動かし、なにかを言おうとした。 けれど、それは言葉にはならなかった。 静かに眠りにつくるように、ミーナは動かなくなった。 終了[エンド2] |
警察に行かなくちゃ。どうせ捕まるんだし。 もういいから離してよ。君まで捕まるよ。 ミーナは手を離さなかった。それどころか余計に強く握ってきた。 この先で待っているのは餓死か殺されるか。どっちにしろ野垂れ死にだ。 「それでもいいなら…一緒に逃げる?」 ミーナは頷かなかった。ただ笑って、僕の手を離さなかった。 掌には銃の感触が残っていた。ズシリと重く、冷たい金属の塊だ。 忘れようとしても頭から離れない。怖くて怖くて仕方なかった。 僕はただミーナの手を握り返した。 僕らは、ネオンで輝く町を出た。 行き当てなんてない。ただ、そこにある道を歩いた。 パトカーのサイレンが遠くで鳴っていた。 終了[エンド1] |